五月本文。

3.五月雨
early summer rain

16日〜22日 雨の日。ぷちラブ。

≫境内配置
 主人公:真ん中より少し左に座る(以降、主人公はつねに同じ位置)
 みのり:間が殆ど無い状態で、主人公の右。

3話ラストにて、転勤のネタを出す。

『転勤を告げられたのは、これから3日後のことだ。

 あの神社と、みのりとの別れの時は突然に近づいていた。』

 

3.0

 

(ロゴ:五月二十一日)

SE:雨音

「私は」

その日は雨が降っていた。雨によって冷やされた空気が辺りを支配していた。

神明神社の拝殿前。屋根を雨避けにしながら、いつものように俺とみのりは石段に座っている。

空から降る弱い雨の音が聞こえる。そして、その他の音は全く聞こえない。

灰色の淀んだ空が上空に広がっている。周囲には薄く霧がかかっていた。

その光景はまるで、世界からここだけ切り離されたような。そんな情景の中で。

「・・・私はね、溝口さんに何だって喋れるんだよ。親にも友達にも言えないようなことだって、きっと簡単に言えちゃうんだ」

みのりは呟くように喋りだす。屋根を伝って雫が落ち、足元に飛沫を作った。

僅かな沈黙を置いて、みのりはこちらへ目を向けた。思わず目が合う。

みのりの前髪は雨に濡れ、数本が肌に張り付いていた。

「・・・つまり・・・。きっと私は、溝口さんの事を・・・・・・・・・」

SE:雨音(フェードイン&ボリュームアップ)

  

(3話:五月雨)

 

BG:部屋

五月二十一日、午後2時。

天気予報の予報通りに雨は昨日の夜半から降り始め、今もなお降り続いていた。

ここ最近のうららかな陽気が嘘のように、窓から入り込む風は冷たく湿っている。

外に干せなくなった洗濯物は六畳の狭い部屋に万国旗よろしく吊るされ、部屋中に湿気を撒き散らしていた。

『五月雨・・・とは五月の雨と書きますが、実際は旧暦の五月、つまり現代の六月頃に降る雨で・・・』

テレビから聞こえる天気予報では、『明後日の夜まで振り続けるでしょう』の言葉が聞こえてくる。

『しかしながら五月雨という言葉には"絶えず続いていく"という意味もありますので、今日の雨もまた"五月雨の雨"と呼べるのかもしれません・・・』

すっかり暇になってしまった俺は、仕事用のカバンから折り畳み傘を取り出す。

こんな雨の日でも。みのりのいる神社へ行くことは、もはや日常へとなりつつあった。

他にやることもなく、未だに街に慣れない自分にとって、唯一安らげる場所へ。

きっと今日は、みのりは神社にいないだろう。こんな日は掃除も出来ないだろうから。

そんな事を思いながら、玄関のドアを少し強めに開けた。

SE;ドア

ドアを開けると、待ち構えたように雨粒を帯びた風が体へ吹きつけてきた。周囲はやたら肌寒く、空には灰色の重たい雲が広がっている。

  

BG:神社

ピアノの音が聞こえない神明神社には、耳に痛いほどの静寂が広がっていた。

周囲からの生活音もまったく聞こえず、弱い雨音が微かな音を立てている。

境内を歩けば、雨に濡れた砂利が普段よりも鈍い感触を靴に伝えてくる。

 

BG:神社拝殿

砂利の音を響かせ、拝殿へ歩いていく。

風が吹き、木の葉が揺れ、そこから弾かれた雨粒は傘へと当たり、ぱらぱらと音を立てている。

弱い雨は風に簡単に押し流され、気づけば俺の靴をしっとりと濡らしていた。

いつもの神明神社は、今日も真新しい拝殿と、ゴミ一つ無い境内が広がっていて。

そして、神明みのりは巫女袴のまま石段に腰掛けていた。

俺に気づいていないみのりは、ぼんやりとした表情で地面へと視線を向けていた。

歩みを止めると、辺りには微かな雨音だけが静かに響いていく。

自分とみのりとの5メートルの距離の間を、風が吹きぬけた。

傘が僅かに揺れ、みのりの袴が少しだけ風に踊った。

 

五月の空の下、五月雨のような雨が降る神明神社に、静寂が響いている。

 

・・・・・・・・・・・・・

  

「・・・溝口さん。雨の日まで来るなんて、暇過ぎじゃない?」

言葉は相変わらずの毒舌だったが、その口調はどこか柔らかく、淡かった。

「今日に関してはお互い様だろ?」

「・・・うん。そうだね」

みのりの笑顔はどこか儚く、薄い。それが雨のせいなのかは分からない。

「・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・」

お互いに静寂が流れると、今度は周りの自然の音が耳に入ってくる。

時折吹く弱い風は、屋根で受け止め切れなかった霧のような雨を流し、柔らかく顔に当たっていく。

春とは思えない、ひんやりとした冷気が辺りを包んでいる。

「・・・・・・・はぁ・・・」

みのりが小さく、聞きとるのが精一杯の深呼吸のような溜息をついた。

「・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・」

そしてまた、お互いの間に静寂が続いていく。

 

きっと、この状況が『溝口春樹と神明みのりの関係』を良く表した状態なのだろう。

お互いがそばにいながら、そして、何かあったことを知りながら、何も行動には移さない。

あくまでもスタンスとしては"待ち"であり、相手が頼らない限りは決して手を貸さず、何もしない。

一見、冷淡に見えるが、これもまた一つの"信頼関係"なのだと思う。

お互いはお互いの領域に決して勝手に入り込もうとせず、入って来ないと信じている。

この事が正しいとか間違っているとか、それは問題ではなく。ただ単にそういう関係がここに存在している。

  

「・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・」

雨は降り続ける。明後日の夜まで続くと予測される雨は弱く降り続ける。

静寂が続いていく。みのりが口を開くまで、俺はゆっくりと待ち続けている。

冷え込む空気の中、二人に流れる沈黙は不思議と暖かかった。

  

・・・・・・・・・・・・・・

  

「ねぇ、溝口さん」

測ったわけではないが、おそらく沈黙は20分続いたと思う。

みのりは相変わらず視線を地面に落とし、その表情からは何も感じ取れそうにない。

「うん?」

「・・・・・・・・・」

相槌を打つ俺に返ってきたのは僅かな間の沈黙だった。

そして、意を決したような口調で、ゆっくりと話し始める。

「・・・溝口さん。今日は私が愚痴を言う番でも・・・、いいかな?」

「ああ」

「・・・ありがと」

みのりは僅かな間だけ目を閉じ、静かに一呼吸した。

そして、俺の方をしっかりと見据え、静寂の中によく通る声で話した。

「あのね、溝口さん」

 

BGM:ストップ(雨音のみ継続)

「"正義"って、何だと思う?」

  

弱い雨が降り続いていた。肌に感じる空気が冷たかった。雨音だけしか聞こえなかった。

あまりにも突拍子も無い質問をしたみのりは、真剣に俺を見つめていた。

  

・・・・・・・・・・・・・・

  

「私はね」

みのりの視線は灰色の空へと向いていた。普段どおりの口調が響く。

「私はね、溝口さんに"私は間違ってないよね?正しいよね?"って同意を求めたいわけじゃないんだよ」

「意見も欲しいと思ってないし、別に叱って欲しいわけでもなくて・・・」

「ただ、誰かに話したくて仕方が無いだけなんだよ。けど、話せる人は溝口さんしかいなくて・・・」

「・・・だから」

いつもからは想像できない、哀願を込めたような表情で俺を見つめる。

「・・・今だけ、そばにいて欲しいの」

断ることは、出来そうになかった。

  

・・・・・・・・・・・

  

「・・・きっと、私も溝口さんも、今までずっと正しいことばかりをしてきたんだと思う」

「・・・そうか?」

昔を巡れば、誰が見ても明らかに間違った行動をしていた思い出が数々挙がってきた。

「うん。逆に言えばね、私たちは間違ったことをすることが出来ないんだよ。間違ってるから、間違ってることは出来ないんだよ」

「・・・俺は幼い頃、近所の女の子を散々泣かしたことがあるが」

「私も二日前、未成年なのにお酒を飲んだよ」

「・・・・・・正しいか?」

「うん。その時の私たちにとって、それは正しかったんだよ」

「・・・・・・?」

?マークを頭に浮かべる俺。気にせずにみのりは続けた。

「"正義"はどこにあると思う?」

相変わらず、質問は突発的だった。

「私はあくまでも、"正義"は自分の中にあるんだと思ってる。

 私も溝口さんも、その時の自分が"間違ってない"と思ったからそういう行動をしたんだよ。例え、周りから見れば間違ってることでも・・・ね」

「・・・いまいち、言ってることの意図が分からんが」

「うーん・・・、つまりね・・・」

みのりは少しだけ考えた後、笑顔で話す。

「自分の正義を貫いたら、クラスの人に嫌われちゃったんだよ」

思わず沈黙する俺の横で、みのりは静かに微笑んでいた。

「私は私の中で間違ってなくて、その子はその子で間違ってなかったんだよ。お互いがいいと思ったことをしたのに、結果は全然逆になっちゃってね・・・」

俺は何も言えずに、ただ聞いている。

「・・・あ、心配しないでもいいからね。私は私の非を認めて謝るし、きっと、また元に戻っちゃうんだとは思うんだよ。・・・ただ」

みのりはまるで人事のように、軽々しく話している。

「・・・溝口さん。"正義"って何だろうね? 間違ってないことをしたはずなのに、何でこうなるんだろうね・・・?

 私が間違ってたなら、その判断は誰がするんだろうね?さらにその人の間違いは誰が判断するんだろうね・・・?」

俺は答えず、ただぼんやりと空を眺めている。

疑問系で聞いていても、きっとみのりは答えは望んではいなかったのだと思うし、"何と答えるのが正しいのか"も分からなかった。

  

二人の沈黙を強調するように、雨音が強くなった。

  

・・・・・・・・・

  

今度の沈黙は短かった。

「・・・さて。私の愚痴はこれでおしまい。溝口さん、ありがとね」

「・・・俺は何もしてないが」

「聞いてくれたでしょ?」

「ああ」

「今の私にとって、それ以上のことは無いよ」

いまいち腑に落ちない部分はあるものの、みのりが良いと言えばそれで良いのだろう。

「あははっ。溝口さん、何か不思議って顔してるよ」

「・・・まぁ、何もしてないのにお礼を言われたわけだしな」

「そうかなー?愚痴を言える人って、とっても貴重だと思うよ。どうしても人に話してしまいたいことってあるじゃん?」

「別に俺じゃなくてもいいと思うが・・・」

「ううん。溝口さんじゃないと駄目なんだよ」

真顔で言うみのりに、不覚にも俺は少しだけ動悸が早くなるのを感じた。

「・・・私はね、溝口さんに何だって喋れるんだよ。親にも友達にも言えないようなことだって、きっと簡単に言えちゃうんだ」

みのりは呟くように喋りだす。屋根を伝って雫が落ち、足元に飛沫を作った。

僅かな沈黙を置いて、みのりはこちらへ目を向けた。思わず目が合う。

みのりの前髪は雨に濡れ、数本が肌に張り付いていた。

「・・・つまり・・・。きっと私は、溝口さんの事を・・・・・・・・・」

 

BGM:オフ

「・・・"他人"だ、って思っているんだから」

  

少しだけ。ほんの少しだけ、胸がちくりと痛んだ。

 

「私にも溝口さんにも、こう・・・何ていったらいいのかな?自分を中心としてグループみたいなのがあるよね?家族とか、クラスメイトとか、親戚とか・・・」

「おう」

「私にとって溝口さんは、それのどのグループにも入っていないんだよ。私と、溝口さんだけなんだよね」

「それは俺も同じだが」

「うん。だから、溝口さんには何でもばらせちゃうんだよ。私が溝口さんにクラスの子の悪口言ったって、そのクラスの子まで届くことは無いからね」

「まぁ・・・確かに」

だからこそ、先週の俺はみのりに会社退職について話したわけだし。

「こんな人、私にとっては溝口さんしかいないんだよ。きっと私、溝口さんになら、もっともっと恥ずかしいような話だって出来ちゃうと思うよ」

「ほほぅ・・・。じゃあ話してもらおうか」

「・・・溝口さん、目がやらしいよ」

「恥ずかしい話が出来るって言ったのはみのりの方だろう?さぁ話せ。大丈夫だ。俺以外には伝わらないんだから」

「・・・えーと・・・・・・ま、また今度ね。とにかく、私にとって溝口さんはそういう意味で特別なんだよ」

「・・・要約すれば、『外ではぶりっ子してても溝口さんの前なら暴力振るいまくり』ということか?」

「何か違うと思うけど・・・。それよりも溝口さん、私をそういう目で見てたの?」

「いや、見る見ないの問題ではなく、体験による感想だが」

「う・・・・・・」

 

 

 

 

 

 

  

・・・・・・・・・・・・・・

  

雨音と、ピアノの音。それだけで、神社の境内には情緒的な雰囲気が満ち始めていた。

名前も知らない曲は静かに心に沁みこんでいく。

未だに降り続ける弱い雨を眺め、その先にある灰色の空を見つめている。

背中越しにある格子戸の先から流れる綺麗な音色は、柔らかく広がっていく。

屋根を伝わって生まれた雫が落ち、音色と合わないテンポで、ぴちゃっ、ぴちゃっ、と音を立てていた。

人も生活音も無く、周囲から完全に隔絶された、二人だけの世界がここにあった。

例えこの世界で何があっても、自分の周りは何も変わらないのだろう。

そう・・・。例え、何があっても。

  

灯のように淡く薄く。小さな感情が胸の奥で生まれていくのを感じている。

果たして自分は、何を望んでいるのか。明確な何かは浮かんでは来なかった。

けれども、突き動かす何かが生まれてきていること。これだけは漠然と理解し始めていた。

  

五月の雨空に、ピアノの音が響いている。

遠くの空には、雲の切れ間から光がカーテンのように差し込んでいた。

  

・・・・・・・・・・

   

 

新人研修が終わったのは、それから三日後の事だ。

  

上司が口頭で伝えた配属先は、聞いたことも無い地名だった。

六月から、そちらへ引越して業務に当たらなければならない。上司の言葉はあまりに簡潔だった。

確かに"こういうことがある"ことは事前に知らされていたし、別段驚きはしなかった。

  

けれども、上司の説明の声はどこか遠くに聞こえる。

まるで熱に浮かされたように、頭がぼんやりとしてしまっている自分がいた。

  

六月に、俺はあの場所から離れなければならない。

そしてきっと、二度は戻ってこないだろう。

別れの時は無情にも突然に現れ、威圧するように目の前に立ちふさがっている。

  

あの場所から離れるまで、あと7日。

  

  

五月が、変わっていく。