五月本文。

章間
From 2 Between 3

 

 

2 to 3

 

五月十八日。午後9時半。

 

その日は大根が安かった。

  

太くて逞しいその大根に掲げられた値札は、60円。

チラシを見た俺は、『行くしかない』と。そう思った。

  

その結果。

  

BG:主人公部屋 

「あ、あはははははっ!!」

神明みのりが、俺の部屋で、テレビを見て、腹を抱えて笑っている。

笑いが止まらないらしく、俺の背中をバシバシ叩いていた。

  

部屋には俺の大嫌いなレバニラ炒めの匂いが充満している。

背中を叩かれ揺らぐ視界の中、俺は偶然の恐ろしさを実感していた。

 

・・・・・・・・・・・・・・・

  

俺は大根が好きだ。

具体的に言えばシーチキンのおにぎりの下、カレーピラフの上くらいに好きだった。

大根おろしが好きだった。風呂吹き大根が好きだった。おでんの大根なんて何個でも食べられた。

だから。

 

BG:スーパー(用意できれば。出来なければ黒バック) 

SE:風(ひゅぉぉぉ〜ん)

数十人のオバサンが、ラグビー選手も真っ青なタックルで突撃する戦場へ、俺は自ら立ち向かって行くことを決意した。

1本60円の大根という、希少で美味で、そしてお買い得な宝物を手に入れるために、2メートル先の肉の壁へ突撃を開始する。

「(ゼロシフト、レディー・・・・・・)」

ゴー。

めぎょ。

「うぐぉ・・・」

万力で潰されるような圧倒的圧力。皆が動く分、他方向から圧力が加わり、満員電車よりも身動きが取れない。

力一杯かき分けようともがく。足が前の地面を踏めない。たった2メートルがこんなにも遠いと思ったのは初めてだった。

入っていく重戦車と、作戦を完了し撤退する重戦車。その隙間を上手く抜けていきたいのだが、これがなかなか上手くいかない。

一回目は、撤退する重戦車と共に外まで追い出された。

二回目は、突入する重戦車を避けてたら外に出ていた。

そして、三度目の特攻で目的のポイントに到達することが出来た。

山頂到達のような達成感を感じ、思わず叫びたくなったが、それは何とか抑えた。まずはターゲットの確保が先なのだから。

目標を探すと、広い棚に陳列されていた大根は最後の一本。最後だと思うと、ただの大根なのに輝いて見えるのだから不思議だ。

『おお勇者よ。このダイコンソードを抜けるのはそなただけじゃ』

俺の脳内でヨボヨボのおじいちゃんがそんなことを言う妄想が走る。全身の筋肉をフル活動して手を伸ばす。一塁ベースを必死に目指す高校球児の感覚が少しだけ理解できた。

手が大根に触れる。冷気によって冷たくなった大根・・・もとい、お宝をやっと手に入れられたと思った時。

コンマ何秒かの差で、誰かの手が俺のお宝へと触れていた。

全力で大根を掴み上げれれば、その手も上がる。

そして、お互いに大根を掴んだまま、怒号のようにその相手へ言い放った。

 

「俺の大根だ!!」「これは私の!!!」

 

大根を左手に持った神明みのりは、ブレザーの制服を着たまま目を丸くしていた。

大根を右手に持った俺は、見慣れない制服に一瞬誰か分からなくなって、一瞬後に理解して驚いた。

 

野菜を冷やすための冷気が足にあたっている。

野菜の見栄えをよくするための蛍光灯が二人を照らしている。

店内にはオバサンの怒号と、素っ頓狂な『お魚憶え歌』が流れている。

  

偶然の出会いは、ロマンティックから何億光年も離れていた。

  

・・・・・・・・・・・・・

  

「手を離せよ、みのり」

「やだ。絶対離さない。そういう溝口さんが手を離せばいいんだよ」

「いいや、俺は絶対に離さないからな」

言葉だけ取れば、熱々ラブラブカップルの会話なのかもしれない。

お互いの手が、相手の手ではなく、大根が握られていなければ、もっと色気のある会話だったのかもしれない。

「・・・・・・・・」

「・・・・・・・・」

お互いがお互いの目を見つめる。スーパーの売り場の中だというのに、顔を近づけて熱烈に目を見つめ合っていた。

腰から上を見れば、熱々ラブラブカップルの風景なのかもしれない。

お互いが大根を引っ張り合ってなければ、そして、睨み合ってなければ、夜9時のドラマあたりでも使える風景だったのかもしれない。

 

60円をかけた不毛な戦いは、それから10分ほど続いた。

『30円で半分ずつ』という結論まで、10分もかかっていた。

10分の間に行った『じゃんけん10回勝負』は、5勝5敗だった。

  

・・・・・・・・・・

 

この街に来て初めて、俺は買い物カートを引いている。

がらがらがら。賑やかな音はカートを動かす度に騒がしい。

買い物カゴの中には、一部・・・もとい二部が若干暖かくなってしまった大根が揺れていた。

「溝口さん。溝口さんって嫌いなものある?」

「レバーとニラ以外なら何でも食える」

「ん、分かった。・・・それじゃ今日はレバニラ炒めだね」

ぺしーん。

みのりの頭を勢いよく叩く。それなりに爽快な音が響いた。

「いっ・・・たぁー!!いきなり女の子の頭叩く男なんて最低だよ!!」

「抗議する前に人の話を聞け!!今さっき、レバーとニラが食えないって言ったろ!?」

「うるさーい!私のレバニラ炒めが食えぬのかー!」

「食うかー!!」

店員が非常に嫌そうにこちらを見ていたことに気づいたが、気づかぬふりを徹底したのは始めての経験だった。

  

・・・・・・・・・・・

 

「今日ね。私の家、親いないんだ」

 

大根争奪バトルが終わり、『俺の家で切り分ける』という判決を下した後に、みのりは笑顔でそう話した。

その時の心境を正直に話すと。

俺も男だった。ドキッとした。たとえ相手がみのりでも。

しかしながら、そんな男のときめきに待っていたのは、ハンマーでぶん殴るような一言だった。

「夕御飯、奢ってくれない?」

目の前の女子高生は下手すると一生結婚できないんじゃないかと、正直思った。

  

俺は言うまでも無く、頑なに”奢り”を断りに断った。

最終的に辿りついた最後の妥協点は、『溝口さんが買った食材で私が料理するから』というものだった。

話を聞けば、みのりの両親は共働きのため、度々料理を作ってきたみのりの腕前には近隣の家からも定評があるんだそうだ。

60円の大根に飛びつくくらいの守銭奴で巫女な女子高生は、何よりも財布の中身が大切だったらしい。

実際問題、俺自身の料理の腕は稚拙なもので。ここ最近はまともな料理から遠ざかっているのも事実だった。

ギブアンドテイクがしっかりと確立し、本日の溝口家の夕食には、神明みのりシェフがゲストとして登場することとなった。

 

・・・・・・・・

  

カートの車輪は騒がしく音を鳴らし、食品を冷気が足に当たる。

買い物カゴの中に、みのりが適当な感じで食材を入れていく。俺はただ、それを眺めているだけだった。

「さぁって、今日は何作ろうかな〜。溝口さん、何食べたい?」

「レバーとニラ以外なら」

「却下」

返答は光のように素早かった。

あまりの速さに俺が固まっている間にも、みのりは適当に食材をカゴの中に入れていく。

「♪こ〜むぎっこ〜、たっま〜ごに〜♪ぱ〜んこを〜ま〜ぶ〜してぇ〜♪」

みのりはどこかで聞いたよな歌を口ずさみつつ、カゴに竹輪を入れた。歌は全く関係が無いらしい。

「溝口さん、溝口さん!」

突然服を掴んで引っ張るみのり。小さな子供を思わず連想する。

「どうした?」

「トロが安いよ溝口さん!ねぇ、買ってよ〜」

値札に目を向ける。

大トロ。2980円。

「買えるかっ!!」

「お買い得なのに・・・」

「給料日前なんだ。こんなの買った日には俺は明日から米だけの生活になってしまう・・・」

俺は足早に、みのりは名残惜しそうに海鮮売り場から離れる。

その間、何度も大トロへ振り向くみのり。どうやら本当にマグロが好きらしい。

「・・・・・・どうしても食べたいのか?」

「・・・うん」

何でこの娘は食べ物相手にこんな切なげな表情が出来るのだろうか。

そう考えた時、俺の想像力にスイッチが入ってしまった。

「(もしかしたら・・・。みのりは実はかなり貧乏な家庭で育ったのかもしれない。

 中二の娘が巫女のバイトをしなければならない程に生活に窮しているとしたら・・・?)」

「・・・ん?どうしたの、溝口さん?」

「(ああっ!それならば、やたら俺に支払いをさせることや、60円の大根を狙ったことや、さっきのマグロに対する執念も説明がつく!

 そうか・・・。2,300円でも出せばマグロなんて食べれるのに、きっと貧しいみのりはそれすらもロクに食べれないんだ・・・)」

「・・・・・・?」

みのりが不思議そうに俺を見つめる。

一見普通に見える女の子だが、きっと色々苦労して来たに違いない・・・。

くっ。想像しただけで目頭が熱くなるぜ・・・。

「みのり・・・。俺が悪かった。ごめんな・・・」

「え?い、いきなりどうしたの溝口さん?病気?」

俺の豹変に不思議がるみのり。そんなみのりの頭に手をそっと載せる。

「・・・・・・・・給料日になったら、買ってやるからな」

「え、本当?」

ぱっと表情の明るくなるみのり。

「俺にはこれくらいしかしてやれないからな・・・。みのり・・・、辛くても負けるんじゃないぞ・・・」

くっ、俺としたことが涙腺をこんなにも緩ませるとは・・・。

「えっと・・・。なーんか、引っかかるなぁ・・・」

いいんだ、みのり。言わなくとも俺は分かってるぞ。俺はお前の味方なんだぞ・・・。

  

BG:ブラック。

この後に、実はみのりはお嬢様チックな高校の生徒らしいことを聞かされるのは、言うまでもない"お約束"である。

やり場のない憤りに、俺は空中にアッパースイングを繰り出していた。

我が生涯にたっぷりの悔いあり。掲げた拳がやたら切なかった。

 

・・・・・・・・

 

スーパーから家への帰り道。周囲は完全に夜の帳が下りている。

駅から少し離れれただけで一気に辺りは静かになり、人影は俺たち二人しかいなかった。

電信柱のライトによる光が眩しい。

「嫌いな食べ物の大半は、食べず嫌いだと思うんだよ」

スーパーの袋を片手に言うみのりの言葉に、説得力は乏しかった。

お互いの持つスーパーの袋の中には、俺が大嫌いで、みのりが大好きな食材が数多く入っている。

「俺は、レバニラ炒めなんて料理が得意料理というヤツの言葉を信じない」

「失礼な人だなぁ・・・」

「・・・みのり。正直に答えろ。 ・・・俺が嫌がる様を見たくて買ったんだよな?」

答えるみのりの笑顔は、今までで一番嬉しそうな笑顔だった。

「うん、そうだよ」

すぱーん。

五月の夜空に、頭を叩く快音が響いた。

そして数秒後に、同じような音が違う頭から響いていた。

  

・・・・・・・

  

がちゃ。

「超ー!普通ー!!」

部屋に入った神明みのりの第一感想は、良くも悪くも無い、まさに超絶的に中間な一言で、最悪な感想だったと思う。

「いやぁー、ここまで個性のない部屋を見たのは初めてだよ私。部屋でたら五秒で忘れちゃいそうだね」

「みのり。もう帰れ」

「冗談だよ素敵な部屋だと思うよだからお家に入れて欲しいよ」

みのりは全く心の篭ってない言い訳をしながら、スーパーの袋を床に置く。

「ふーん。これが溝口さんの部屋かぁ・・・」

決して広くも無い六畳一間をうろちょろ。制服のリボンがふわふわと揺れている。

まさか、この部屋でこういう光景が見れるとは思っていなかった。

少しの間、みのりは狭い部屋の中を見回していた。考えてみれば、みのりの年頃にとっては一人暮らしは珍しいのだろう。

「・・・さてと、それじゃ作るとするね。溝口さん、包丁どこ?」

「・・・俺を刺す気か?」

「・・・何でそういう発想になるかなぁ・・・」

嘆息するみのりに、包丁や調味料、フライパンの置き場を伝える。

「うわ。コンロ一つしかないんだ・・・。やりづらいなぁ・・・」

玄関開けてすぐのキッチンにて、みのりは色々と文句を言い続けた。

火力が弱そうだの、皿が少ないだの、コンロ周りが汚いだの。

俺はそんな言葉を聴き流しつつ、テレビの電源をつける。しばらくして、毒にも薬にもならないバラエティ番組が画面に映った。

ぼんやりと、一日の疲労をねぎらう様にそれを眺める。

とんとんとん。しばらくすれば、キッチンからはリズミカルな包丁の音が聞こえてきた。

「まだ出来ないかー?」

「まだ5分も経ってないよ・・・。ご飯だってまだまだ炊けないし、ゆっくり待ってよ」

「ん」

再度、テレビの方へ視線を戻す。ソファに深く腰掛けると、今日一日の疲れが体の奥から滲み出てくるのを感じた。

キッチンからは包丁の音と、油の跳ねる心地よい音が聞こえている。

「ああ・・・。何て楽なんだ・・・」

こうしてソファでくつろいでいるだけで料理がやってくる。実家を離れてから、すっかりと忘れていた感覚だった。

「ね、溝口さん」

木のへらを片手に持ったみのりが部屋の方に戻ってくる。ブレザーの制服と木べらは実にミスマッチだった。

「ん、どうした?」

「お味噌汁はインスタントでいいよね? 鍋が一つしかないから、ちょっと作れそうに無いんだよ」

「分かった。・・・みのり、今日の献立は?」

「今は秘密。まぁ、みのりちゃん手作りの料理を楽しみに待ってることだよ」

そう言って、スーパーの袋からニラとレバーと取り出した。

「・・・・・・」

もう何も言えなかった。ついこんな平和な時に、死刑執行を待つ死刑囚をイメージしてしまうのは何故だろう。

そんな哀愁を感じる横で、死刑執行人は楽しそうに笑っている。

「あ、そだそだ。溝口さん、エプロンとか無いかな?出来ればピンクでフリルの可愛いやつ」

「よし、ちょっと待ってろ」

「ええええっ!!あるのっ!?」

「冗談だ」

「むぅ・・・。溝口さんが危ない趣味の人だと10秒間くらい思っちゃったよ・・・。それで、結局エプロンって無い?」

「男の調理場に前掛けは要らない」

「あー、はいはい。仕方ないから制服に跳ねないように気をつけるよ」

「頑張れよ〜」

キッチンに戻るみのり。その姿を目で追う。

想像よりも見事な包丁捌きでジャガイモの皮を剥いていくみのりを六畳一間から見つめる。

手馴れた作業ぶりに、夕食への期待が膨らんだ。

「・・・?」

みのりが不思議そうにこちらを見たが、すぐさま調理へ意識を戻す。

「うーむ・・・」

改めて見直すと、不思議な図ではある。自分のキッチンで女子高生が料理を作っているなんて、当初は想像もしなかっただろう。

そう。これはまるで。

「・・・・・・うん?何?」

・・・もしかしたら俺は、男として結構恵まれた状況下にいるのかもしれない。

そのはずなのだが、俺の心境はどうにも盛り上がりに欠けていた。

この状況をそこまで良いと思えないのは。まず一つに、みのりは夕食代を浮かすためだけにここにいるということと。

「もうお腹減ったの?あと20分くらいかかるから、それまでくつろいでていいんだよ?」

・・・そして、先程から鼻に突き刺さる、俺の大嫌いなレバーとニラの匂いが充満しているということ。

このことで、どうしても今の状況を幸せとは感じれずにいた。

 

"楽しい同棲生活の一コマ"のような情景の中で、キッチンに向かう女の子は、料理を待つ男の大嫌いな料理を作っている。

それはどこか皮肉的で、それでも暖かい、奇妙な光景だったのかもしれない。

 

・・・・・・・・・・・・

  

「♪〜〜♪〜〜」

みのりの陽気な鼻歌と、テレビの音。さらにフライパンがニラを炒める音が混じり、今日の六畳一間は何かと騒がしい。

テレビでは音楽番組が流れており、時折みのりがこちらに顔を出しては、『この人の曲はいい』だの、『この人はワガママそうで嫌』だの、小さく小さくコメントをつけに来た。

仮にもピアニスト風の女子高生。音楽に関しては少々うるさいようだ。

さっぱりと音楽に興味の無い俺は、司会者のトークや流れていく音楽を乾燥的に眺めていく。

『続きまして、映画化で話題の・・・・・・』

司会者の言葉に、調理中のみのりがまたもや誘われるように現れる。

「・・・あ。この曲ね、前に溝口さんに薦めた映画のエンディングテーマなんだよ」

名前はすっかりと忘れていたが、確かに映画を薦められたような記憶は残っていた。確か、友人が速攻で亡くなるとかいう・・・。

「んー・・・。やっぱりユーロミックスの方かぁ・・・。ピアノ版の方が私は好きなんだけど」

みのり曰く、ピアノ版とユーロミックス版があるんだそうだ。ユーロの方が人気が高いのが、みのりとしては不服らしい。

「〜〜♪〜〜♪」

不服を言いながらも、演奏が始まりだすと共にメロディを口ずさむあたり、曲自体が嫌いというわけではないようだ。

≫選択肢

さて―――

1.チャンネルを変える

2.チャンネルを変えない("星のない空の下で"プレイ後を推奨)

 

1.

「♪どんな時でも〜♪想うは思い出ぇ〜〜♪」

ぴっ。

『みなさんこんばんは。"突入!特別捜査室"のお時間です。本日は"ヤクザも裸足で逃げ出す"と有名な刑事さんに会いに千年谷警察署へ・・・』

突然変わったテレビの画面に、みのりは歌の途中の状態で口を開けたままに俺を弱く睨んだ。

「・・・・・・。溝口さん、今のは酷いと思うよ。折角、大熱唱してあげようと思ったのに」

「みのり。調理に専念してくれ・・・」

「むぅ〜。歌も結構自信あるのに・・・」

しぶしぶといった具合にキッチンへ戻っていくみのり。

『潜入に成功しました。見てください、これは機密書類でしょうか? ・・・・・・・ああっ!屈強な刑事と思しき男にカメラを破壊されました!!素手でまっぷたつです!

 テレビをごらんの皆様!声のみで放送することをどうかご容赦・・・、ああっ!今私はその刑事に片手で持ってかれています!何てパワーでしょう!!放送はこれまでのようです、皆様ごきげんよ・・・』

 

2.

(未来星熱唱)

「・・・ふぅっ。大満足だよ」

「その映画を見てない俺にとっては、別段どうというわけでもないのだが・・・」

「まぁまぁ。見た人だけに分かる味わいってやつだよ」

「それじゃ、楽しんだところで料理の続きをお願いします、シェフみのり。正直もう腹減って仕方が無いんだ・・・」

「はいはい。あと10分くらいで出来るから、もう少し我慢してね」

熱唱して満足したのか、キッチンに向かうみのりの足並みはやけに軽やかだった。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

テーブルの上に、2品以上の料理が並んでいる様を見たのは初めてだった。

溝口家、本日の夕食。

ご飯、味噌汁(インスタント)。

レバニラ炒め。

肉じゃが。

だし巻き卵。

ほうれん草のゴマ和え。

きゅうりの浅漬け。

以上、5品が本日の夕食で御座います。

まさに圧巻だった。このテーブルの上に乗るものとしてはあまりに豪勢だった。

「・・・・・・・・みのり」

「うん?」

狭いテーブルの右に座るみのり。食器の数が足りないため、ご飯茶碗の代わりに小さい深皿にご飯を持っているのが微笑ましい。

「・・・みのり。俺の味噌汁を毎日作ってくれ」

「嫌だよ。面倒だし」

俺のプロポーズは0.3秒で両断されてしまった。さらば、数秒前の恋心。

「まぁ、それはいいとしても・・・。正直驚いた。みのり、本当に料理上手いんだな」

「ふふふ〜。どうだっ、まいったかっ!」

嬉しそうに胸を張って誇らしげなみのり。料理の出来ない俺にとっては、今やみのりが偉人のように見えてしまうくらいだ。

「それじゃ、冷めないうちに食べよっか?」

「おう。それじゃ・・・」

「「いただきまーす」」

それでは早速レバニラ・・・を遠ざけて、だし巻き卵を。

ぱくり。

「・・・・・・・・・・・・・・」

「どう?おいしい?」

「・・・みのり。結婚してくれ。あるいは家政婦になってくれ」

「どっちも嫌。溝口さんの食生活に一生を投じる気は無いよ」

「・・・一世一代のプロポーズを軽々しく一蹴しないで欲しいのだが」

「一世一代のプロポーズを軽々しく言う方が間違ってると思うよ・・・」

本日2度目の失恋を癒すように、今度は肉じゃがをつつく。

醤油とみりん、そして牛肉のコクが程よく合わさり、実に上品な味に仕上がっていた。ご飯も進む。

「肉じゃがって、何だか"料理出来る女の子"の定番って感じだよね〜」

「そうだな。みのりも俺の中で、"変な巫女ピアニスト"から、"変だけど料理のできる巫女ピアニスト"にランクアップしたくらいだ」

「はいはい、そりゃどうも・・・。 案外、肉じゃがって作るの簡単だったりするんだけどね。基本的なことをちゃんとやってれば、誰でもこのくらいの味は出せるよ」

「自慢じゃないが、俺の得意料理は野菜炒めと肉野菜炒めだ」

「それ、本当に全然自慢になってないよ・・・」

喋りながらも箸は進む。

「溝口さん、だし巻き卵食べすぎだよ。あー、私の分が・・・」

「その分、みのりにはレバニラ炒めをやろう。さぁ、全部食べてくれ」

「駄目だよ。これは私が心を込めて溝口さんのために作ってあげたんだから」

「俺にはたっぷりと悪意が入ってるように感じたが」

「まぁまぁ。とにかく食べてみてよ。一口でいいから」

「いや、本当にレバーとニラだけは駄目なんだ。こればっかりは絶対無理」

「強情だなぁ・・・。・・・よしっ、仕方が無いからサービスしてあげるね」

そういって、みのりは箸でレバニラ炒めをつまんだ。

「はい、あーん」

みのりの笑顔がやけに怖いのは気のせいだろうか。外から見れば微笑ましいはずの光景は、俺にとっては拷問のようなものだった。

俺は口を開けずに首を横に振った。恐らく口を開けた瞬間に、レバニラ炒めをねじ込まれるに違いない。

レバニラ好きの人には悪いと思うが、絶対に俺はあの感触・あの味が駄目なのだ。想像するのも嫌なくらいだ。

そんな、俺にとっての凶器を箸に携え、みのりが迫っている。

「はい、溝口さん、口を開けようね〜」

頑なに拒む。

「・・・もう、こうなったら!」

がっ。

みのりの空いていた左手が俺のアゴの付け根あたりを掴んだ。アイアンクローのアゴ版といった感じだろうか。

女の子とは思えない握力に、嫌でも口が開いてしまった。

「んー!!!」

声にならない悲鳴とはこのことだろう。

そしてそのまま、開いた口の中にレバニラ炒めがねじ込まれた。

 

むにゅぅぅぅぅぅぅぅ。

 

決して食わず嫌いではなかったことを、身を持って知ることとなる。

  

・・・・・・・・・・

  

どうして、こんなことになってしまったのだろう。

お笑い系の番組を見てはハイテンションに笑いまくるみのりを横目に、そんなことを思う。

テーブルの上には、チューハイの缶が転がっている。

そしてこの殆どは、みのりが一気に空けてしまったものだった。

  

どうして、こんなことになってしまったのだろう。

俺は、数十分前のことを順に思い出していくことにした。

  

レバニラを口に詰め込まれ悶絶した後は、しばらく平和な時間が流れた。

食後の満足感を感じながら、ゆったりとテレビを見ながらくつろぐ。

しばらくして、みのりが食器の片づけをするというので、俺はシャワーを浴びにいった。 

そして、シャワーを浴び終えた後に待っていたのは、冷蔵庫の中のチューハイを全てテーブルに陳列し、ワクワクとした視線をこちらに送るみのりだった。

「溝口さん、お酒飲むんだね」

風呂後の一杯・・・というとオヤジ臭いのだろうが、この一杯は格別なのだ。

俺はそれを熱く語った後、缶を一つとってプルタブを捻った。

ぷしゅっ、と心地よい音と共に、中身を一気に飲み干す。

柑橘系の甘い香りと、僅かなアルコールが喉を一気に潤していく。

「ぷはーっ。俺はこの一杯のために生きているー!」

「あははっ。溝口さん、オヤジ臭いよー」

「何を言う。この一杯の素晴らしさは万人共通だ」

「へぇ・・・。ねぇ溝口さん、私も飲んでみてもいいかな?」

みのりは興味津々と言った感じで缶の一つを持ち上げた。

この一言で、何かが間違い始めたのだろう。

「よし、許す!」

アルコールが入ってしまったため、すっかりみのりが未成年だということを忘れていた俺は軽々しく許可してしまっていた。

みのりは嬉々としながら、オレンジ味のチューハイのプルタブを開けた。

そして一口。

「・・・ん? 結構おいしいね、これ」

二口。三口。そして一缶。

「・・・ぷは〜〜っ。初めて飲んだけど・・・おいしいね。・・・ね、溝口さん。もう一本いいかな?」

ここで頷いてしまったことが、一番の失策だったと思う。

  

・・・・・・・・・・

  

みのりの顔は紅潮し、ことあるごとに体がふらふらしていた。呂律も上手く回っていない。

その様に、こっちの酔いはすっかりと醒めてしまっていた。

「んー?どうしたの、溝口さーん?」

「みのり、大丈夫か・・・?」

「あはははっ、ぜんっぜん大丈夫ー!」

明らかに全然駄目そうだった。チューハイ3缶でこんなに出来上がるとは思わなかった。

「明日も学校だろう?こんなんで本当に大丈夫か・・・?」

原因が俺にもあるということで、正直心配だった。二日酔いの女子高生なんて、かなり洒落にならない。

そんな俺の心配をよそに、みのりは余計なモーションでサムズアップをしながら、

「もー!!溝口さんは心配性だなぁー!みのりちゃんが大丈夫って言ったら大丈夫なのー!!」

ぐらぐらと上体を揺らしながらそんなことを言われても、安心できるわけは無い。

「えへへへへへ〜〜。溝口さん〜〜」

みのりは、にへら〜っと笑いながら、俺のほっぺたをつつく。

先程から、何かとみのりは俺を触っては遊んでいた。何が楽しいかは彼女にしか分からないのだろう。

「あー、もう、何とでもしてくれ・・・」

もはや抵抗するのも面倒になった俺はされるがままだった。

しばらく遊んだ後(頬が痛いです)、みのりは突然に座布団から離れ、満面の笑顔のまま俺の右隣にちょこんと座った。

そしてそのまま、上体の俺に倒れかかる。

「ん〜〜〜〜・・・・・・」

みのりは犬や猫のように、頬を俺の肩に摺り寄せてくる。髪の毛がふわふわと揺れた。

「・・・みのり?」

「すきんしっぷ〜〜〜」

呂律の回ってない声。普段からは想像できないような行動。まさに酔っ払っていた。

「えへへへ、溝口さん〜〜」

何が楽しいのかは分からないが、みのりは楽しそうに体を摺り寄せてくる。

「う・・・・・・。・・・おい、みのり。離れろって・・・」

力づくで体を離す。ゆっくりと離したつもりでも、みのりの体は反対方向にぐらっと揺れた。

・・・正直な所、俺も違う意味でマズイことになっていた。

つまり、理性的な問題で。 ・・・一応俺も、男だったのだ。

「あはははっ。溝口さんったら照れ屋さんなんだから〜〜〜」

みのりは恐らく、言葉の意味を理解していないだろうと思われる。

そのまま、みのりは膝立ちの体勢を取り・・・。

「んにゃ〜〜〜〜〜」

倒れ掛かってきた。

「うわっ!」

どさっ。

軽いといっても人一人の体重。俺は抗えずにそのまま押し倒されてしまう。

「んう〜〜〜・・・・・・」

がっちりとした力で、みのりは俺に抱きついている。まさか、女の子に押し倒される時が来るとは思わなかった。

シャツ越しに、みのりの吐息がやたら生生しく感じる。頭の中では警告音が五月蝿いくらいに流れていた。

「おい、みのり・・・」

胴に回る腕を離そうとする。かなり強い力で抱きついているためか、上手く外せない。

この間も、脳内の警告音はテンポを上げている。このままでは色々と洒落にならないことになってしまいそうだった。

アルコール以外の要素で頭がぐらぐらと揺れる。

そして、警告ランプが赤に染まろうとしたその時。

「・・・・・・く〜・・・」

みのりの寝息が聞こえ、脳内の警告音は一気に音量を下げていった。

あまりの"お約束"ぶりに、安心していいのか、落胆すべきなのか、何とも複雑な感情を感じる。

大人しくなってくれたのはいいが、みのりは俺の体の上。

身動きも出来ないまま天井を見つめ、頭を少しだけ掻いた。

 

どうして、こんなことになってしまったのだろう。

  

・・・・・・・・・

  

物音一つしない夜道を歩いている。月が綺麗な夜だった。

背中にみのりを背負って、神社までの道のりを歩いていた。みのりが小柄でよかったと心から思う。

「・・・・・・ん〜・・・」

背中越しにもぞもぞと動くのを感じる。

「・・・ん・・・。・・・あれ?溝口さん?」

「お。やっと起きたか」

「えーっと・・・。あ、あれ?どうして私、溝口さんにおんぶされてるの?」

目覚めたみのりは、口調も言葉もしっかりしていた。ひとまず安心する。

「・・・憶えてないのか?」

「え?な、何を?」

「・・・いや、覚えてないならいいんだ」

「ちょ、ちょっと!え、え?私に何かあったの?」

もしかしたら、こんなに慌てたみのりを見るのは初めてかもしれなかった。つい頬が緩む。

「みのり。世の中には忘れておいた方がいいことってのもあるんだ」

「え、えええー!?」

  

月明かりが差し込む明るい夜道を歩いていく。

涼しい夜風が心地よかった。