五月本文。
2.五月晴れ fine weather during the rainy season |
7日~15日 延々と話を聞く・話すシーン。長め。ガッツ話も。
日常描写は少なくていいや。とにかく神社deトーク。
≫境内配置
主人公:真ん中より少し左に座る(以降、主人公はつねに同じ位置)
みのり:少し間を離して、真ん中から右のところへ座る。
五月晴れ 前編
≫2.1 : 7日
・巫女話 溝口さんは袴好き?
≫2.2 : 8日
・お昼ご飯in神社
・空色巻雲お茶会in神社
≫間幕 : 11日(あるいは15日以降)
帰宅途中に目撃。
五月晴れ 後編
≫2.3 : 14日
五月病話(根性論トーク) 開始は同期の退社。
≫2.4 : 15日
五月病話(根性論トーク)
2.1
五月七日。土曜日。午後2時。
「うわっ、また来てるよ・・・」
「気にするな」
「気にするって普通・・・」
ゴールデンウィークを終え、金曜日に出社すれば、またもやオフの日が待っている。
相変わらず何にも身の入らない俺は、気づけばこの場所へと足を向けていた。
「・・・暇なんだね、溝口さん」
「社会人には休息が必要なんだよ・・・。今この瞬間も、次の仕事のための休息なんだ」
「・・・・・・どうだか」
”多少”飽きれ気味のみのりを気にせず、いつもの石段に腰掛け、五月の春を満喫することにする。
暖かい日差し、柔らかい風が心地よく眠気を誘っていく。
「ふぁ・・・」
「ちょっと、またここで寝ないでよ?今度は起こさないからね?」
「大丈夫大丈夫。今日はあまりに暇だったから10時間も寝たし」
「・・・・・・やっぱり暇なんだ」
「・・・・・・・・・・・・・。ほ、ほら、アルバイトあるだろ? 掃除頑張れよ~」
「・・・そうだね。私は休日を無駄に過ごせるほど暇人じゃないから、今日もお仕事頑張るよ」
満面の笑顔で、嫌味満載で言い切るみのり。二人の間に絶妙な間が生まれる。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・俺は今、隙あらば、みのりにデコピンの一発でもしてやろうかと思っているのだが」
「さて、お仕事お仕事・・・」
そそくさと逃げ去っていくみのり。なかなか良く出来た巫女さんだ。・・・くそぅ。
そんな巫女さんは、箒を取り出し境内の掃除を始めた。ざっ、ざっ、という音が境内に響き始める。
「ふぁぁ・・・」
大あくびを一つ。しっかり寝たはずなのに、五月の陽気はそれでも眠気を与えてくるらしい。
「・・・そういえば、ゆったりするためにここに来てる訳だから、ここで寝るのも目的のうちの一つでもあるよな・・・」
実に自分に都合のいい発想を持ち出し、この眠気をそのまま受け入れる準備を始める。
「何か言ったー!?」
「いや、何もー!」
さて、それでは早速・・・。
ごろん。
「こ、こら溝口ー!!横になってどうする気なんだよー!!!」
さすがに下は石なので背中が少々痛むが仕方あるまい。この陽気の効果でプラスマイナスゼロくらいにはなるだろう。
横になって空を見上げる。拝殿の屋根から望む空が綺麗だった。
「あーあ・・・。変な人が居着いちゃったなぁ・・・」
みのりの小声を聞いて聞かぬふりを徹底し、五月晴れの五月の空を満喫する。
澄んだ青。一筋の飛行機雲。木々の揺れる音。箒の払う音。暖かい日差し。
全てが見事に折り重なり、眠気へと変換されていって・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・
むぎゅ。
「・・・ふが?」
鼻をつままれた感触に目が覚める。
目を開ければ、若干不満げなみのりの顔が。その手はやっぱり俺の鼻をつまんでいる。
「・・・確かに、確かに溝口さんは悪くない。悪くないとは思うんだよ。ただ単にここで寝たくて寝てただけなんだから」
しっかりと鼻はつまみながら話すみのり。少々呼吸が苦しい。
「でもね。 ・・・人が一生懸命仕事してる横でグースカ寝られると、何か腹立つのー!!」
ぎゅむむむむ。
「ひ、ひたひでふ・・・(い、痛いです・・・)」
正直、本当に痛い。ピアノを演奏していると指の筋肉が強くなるのだろうか。
「・・・ふぅ。はい、八つ当たり終了。今度からは気をつけるんだよ」
「(一体俺が何をしたのだろう・・・)」
不満はたっぷりとあったが、やっと手を放してもらう。ちょっと涙目になってしまっていることは必死に隠した。
とにかく、次からはこの腕力巫女の前では寝ないことにしようと心に誓う。
「・・・腕力巫女ぉ~?」
「(喋ってないのに何故聞こえる!?)」
「・・・。まぁいいや。さてと・・・」
そう言って、拝殿の中へ入っていくみのり。
「お、待ってました」
「・・・そう言われて悪い気分はしないね。何かリクエストあれば弾くよ?」
「あー・・・。特にない」
「微妙に張り合いがないなぁ・・・。まぁ、いいけど」
相変わらずの袴姿で鍵盤へ向かうみのり。
「・・・・・・だから、演奏中はこっちを見ないの」
「はいはい」
流れ出すピアノの繊細な音色。この儚い音を作り出す指先が、今さっきまで相当の握力で鼻をつまんでいたとはとても思えない。
相変わらず、この音色、この場所にいると心が和むのを感じていた。
少し前まで感じていた、形の見えない気だるさは何処へ行ったのやら。今は、とても心が落ち着いている。
そういう意味では、みのりに感謝しなきゃいけないな、と思う。
風が吹き、境内に唯一植わっている大木が揺れる。木漏れ日が綺麗な光の斑模様を地面に映す。
「・・・・・・眠くなってきた・・・」
あまりの心地よさに、またもや睡魔が訪れてきた。いよう、睡魔。今さっきぶり。
しかしながら、先程みのりに寝たことによる報復攻撃を受けたばっかりだ。今寝るのはまずいだろう。
≫選択肢
俺は―――
1.頑張る
2.頑張れない
1.
「・・・寝るのはまずい。よし、こういう時はピアノの音に耳を傾けて・・・」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・
2.
・・・ぐう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
気配を感じ、意識が少しだけ夢の世界から戻ってきた。
ぼんやりとした視界には、みのりが大きな箒を逆向きに持ち、立っているのが映る。
竹箒の持ち手の先端は、ちょうど俺の顔面の40cm上と言った所だろう。
何となく、ロケットが真っ逆さまに地上に落下する寸前のような映像をイメージしてしまう。
「すたんばい、ふぉーあくしょん」
逆光で見づらいが、みのりはおそらく笑顔を浮かべていた。そのため、先程の言葉の意味を理解するのに少々の時間を要する。
「爆撃開始まで10秒前・・・。9・・・。8・・・」
・・・殺られる。俺の寝ぼけた脳は全力でその答えだけを導き出した。
しかしながら、どうやらみのりは俺が起きた事に気づいてはいないようだ。
「7・・・。6・・・」
律儀にカウントを数えているみのり。ならばこそ、投下の瞬間に華麗にかわして見せようじゃないか。
「5・・・」
さぁ来い。
「投下」
がつっ。
額のど真ん中。見事に重たい竹箒の硬い部分がクリーンヒットした。
っていうか・・・カウント、おかしかったよな? ・・・よな?
「・・・・・・・・うぐぉぉぉぉぉぉぉぉ・・・」
痛い。誇張無しで痛い。ついついのた打ち回ってしまう。じたばた動くと、石の上のせいで背中も痛む。
「あ、起きた?」
果たして起きないヤツがいるのかと問い詰めたいが、それ以上に額の痛みが勝っていた。正気な所、まともに声も出ない。
「はぁ・・・。まったく!人が折角丹精込めて演奏してあげたっていうのにコイツはー!!
本当にこの前、ピアノを褒めてくれた人とは思えないっ!!」
確かに俺が悪い。それは認めるが、喋りながらほっぺたつねるのは勘弁してもらいたいと心から思う。
「何ていうかさ、結構いい気分で弾いてたのに、外出た瞬間にもう愕然だったよ! あーもー!ちょっとでもいい気分浸ってた自分が恥ずかしいっ!!」
ぎゅむぎゅむぎゅむ。
「・・・・・・・みのり、痛い」
「反省してる?」
「してます」
ぎゅむむむ。
「・・・みのり。痛いって」
「・・・ごめんなさいは?」
「・・・・・・ごめんなさい」
「・・・ふぅ。仕方ない、これくらいで許してあげよう」
やっと頬が開放される。おそらく真っ赤になっていることは想像に難くない。
・・・しかし何だろう、この全身を駆け巡る情けなさは。
「今度からは寝ないこと。分かった?」
「はーい」
・・・まったく何なのだろう。この全身を駆け巡る情けなさは。
「何だか私、溝口さんのお姉さんみたいだね」
頼むから、笑顔で言わないで欲しい。
・・・・・・・・・・・・・・
BG:拝殿前(一枚絵)
夕日差し込む神明神社。柔らかな風が吹き、木の葉と服を揺らす。
「・・・うーん・・・後は・・・」
「・・・・・・・」
現在、色々と話が飛びに飛んで、『溝口さんは暇すぎるので何か趣味を持たせよう』トークが展開している。
もっとも、考えているのはみのりだけだったりするのだが。
「・・・あ、映画なんてどうかな?」
「映画はあんまり観ないな・・・。何かお勧めとかあるか?」
「んー。言ってなんだけど私もそんなに映画観てるわけじゃないんだよね・・・。溝口さんは、どんなジャンルが好き?」
「何でも。あまりこだわりは無いなぁ・・・」
本当に暇な時に話題作を見に行く・・・くらいのものなので、最後に映画を観たのはいつの頃か。
「そうだなぁ・・・。最近観て面白かったのは、『星のない空の下で』っていう映画かな。あんまり有名じゃないけどね」
「どんな映画?」
「結構暗い話。いきなり親友死んじゃうし。かなり好き嫌いが分かれるとは思うけど、私は結構気にいってるよ」
「ふーん・・・。暇があったらレンタルするかな」
「そう言ってるけど、ホントに借りるのー?」
「・・・・・・たぶん」
「まったく、何で私が溝口さんの趣味を増やさなくちゃならないんだか・・・。
まぁ、暇だらけなんだし、借りる日はすぐさま来そうだね」
「いや、俺はそんなに暇しているわけじゃ・・・」
「・・・溝口さん。日曜日に10時間寝て、しかもこうして近所の神社へ遊びに来ている人を、世間一杯では暇人って言うんだよ?」
・・・反論不能。
「はぁ・・・。こっちは忙しくて忙しくて困ってるっていうのに・・・」
暇人が言うのも何だが、それは嘘だと思う。
「あ。そうだそうだ。今度から溝口さんに境内掃除を任せちゃえばいいんだ! 溝口さんは暇じゃなくなるし、私は楽だし・・・。ね?」
「待て待て待て。”ね?”じゃないって!休日まで仕事をする気は無いし!」
「ちぇー。名案だったのに・・・」
多少真面目に悔しがっているあたり、本気だったらしい。恐ろしい巫女だ。
「まぁ、考えたら溝口さんが着れるような袴無いし、しょうがないか」
「・・・袴って必要か? 掃除だけなのに?」
「お。溝口さん、実は境内掃除やる気まんまん?」
「いや全然」
「むぅ。 ・・・まぁとにかく。袴は必須だよ?用は仕事着みたいなものだし。溝口さんだってジーパンとTシャツで会社行ったりしないでしょ?」
最近、そういう格好でもOKな会社が増えているが・・・。まぁ、それはそれなのだろう。
「まぁ、私も最初はさ、”普通の格好でいいじゃん”とか思ってたんだけどねー・・・」
「だけど?」
「私、ここのバイト始めたの中学二年の時だったんだけどさ。 ・・・あ。勿論、名目上は『お家のお手伝い』だよ? お手伝いしたらちょっとご褒美としてお金貰えるっていうだけだし」
それは十分アルバイトの範疇に入ってるような気もするが、言うとおそらく攻撃されるので黙っておく。
・・・あ。今さっき俺、物凄く情けないこと考えたかもしれない。
「始めたての頃にさ、袴着るのが面倒になっちゃって、セーラー服のまま掃除してたんだよね。そしたらさー」
「そしたら?」
「たまたま通りかかったオバサンにさ、
『あらあら、えらい子ねー。おばちゃんご褒美あげちゃおうかしら』とか言われてさ、お菓子貰っちゃったんだよ!全く、私は働いてるんだってのに!」
「お菓子はちゃんと食べた?」
「食べたよ!美味しかったよ!! ・・・って、それは関係無いー!」
つまるところ、ボランティア精神溢れる女の子に見られたのが嫌だったらしい。
「その日から、ちゃんと袴着て掃除するようになったわけなんだよ。さすがにコレ着てれば、誰が見てもここの巫女さんって分かるしね」
確かに。袴着てるのに巫女さんじゃなかった場合があったら驚きではある。
「ふむ・・・」
改めてみのりの袴を見てみる。 何だかんだで多少は見慣れた感はあるが、やっぱりこうして見直すと違和感というか、特殊な感じがする。
そもそも、神社なんて場所には初詣しか行かないわけで、袴どころか和服自体も物珍しいのだから仕方が無いのだが。
「こうして見ると、袴って珍しいよな」
正直邪魔そうな気がする袖の長い部分を勝手に触ってみる。
見ただけでは分からなかったが、つやつやとした良い生地を使ってるらしい。
「千年くらい前は、この服の方が普通だったんだよ?」
「んな極端な・・・」
しかしながら、そう言われると、たかが袴と言えど日本の歴史を感じるような気がするから不思議ではある。
例え、場所がやけに真新しい神社で、目の前にいるのは巫女服来ただけの女子高生だとしても。
「そういえば、こういう服って着るの大変じゃないのか?」
成人式の振袖は、着付けする人がいないとロクに着れないという話も聞いたし。
「んー、コツは必要だけど、慣れれば普通の服より着るの簡単だよ? 上を羽織って、あとは袴穿いて帯を巻くだけだしね」
端折りすぎてよく分からない説明だが、それなりに簡単らしい。
「珍しいかもしれないけど、私はかなり気に入ってるよ、この袴。 カッコイイよね。凛とした感じがするもんね。溝口さんで言うところのスーツみたいなもんだよ」
「格好いい、ねぇ・・・」
「えぇー。カッコイイよ。そう思わない?」
≫選択肢
1.格好いいと思う
2.かわいいと思う
1.
「言われてみれば、確かに格好いいかもな」
まぁ、この服で弓でも構えれば、それなりに様になるのかもしれない。弓道部と間違えられるだろうけど。
「だよねー? これで薙刀でも持てば、まさに時代劇だよね」
おそらく、みのりは時代劇をロクに見てないと確信する。
そんな、武器に関する相違を感じる俺の横で、先ほど俺を爆撃した竹箒を薙刀風に構えるみのり。
「てやー!」
ざもっ。
頭に直撃。打撃の痛みはないものの、竹の繊維がちくちくと刺さって痛い。
「・・・みのり。お前は俺に何か恨みでもあるのか・・・?」
「全然無いよ」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
ずびしっ。
みのりの額に軽めのチョップ。威力は軽いが、込めた怒りはずっしりと重い。
「う・・・。おい溝口っ!女の子に手を上げるなんて最低だー!!」
「いきなり箒で殴るのはいいのか!?」
「いいじゃん」
ずびしっ。
「また叩いたー!!」
「黙れ暴力巫女ー!!!」
2.
「俺は、かわいいと思うけど」
勿論、口に出しては言わないが、みのりの袴で見た時、俺は七五三を連想していた。
成人式の晴れ着が連想できなかったのは、恐らくみのりに何らかの要素が足りなかったのかもしれない。何かが。
・・・絶対に、口に出しては言わないが。間違いなく攻撃されるし。
「ええー?そうかなぁ・・・?」
不満たらたらなみのり。
しばらく不満げにしていたものの、突然に何かを閃いてしまったらしい。
いわゆる、手をポンと叩く『閃いた!』の動作。頭の上には豆電球が光った気がした。
「・・・あ。 ・・・あ~!そっか、そういうことか~。・・・えへへ」
勝手に何かを納得し、勝手に喜んでいるみのり。なかなか忙しい巫女さんではある。
「まったく、溝口さんもなかなかのテクニシャンだねー。遠まわしすぎるよー」
よく分からないが、俺はどうやら技巧派で遠まわしに何かをしたらしい。
「例え相手が溝口さんでも、かわいいって言われれば嬉しいものだねー」
若干馬鹿にされてる感があるが、喜んでいるようなので良しとしよう。
「もしもこれで、『七五三みたいでかわいい』とか言い出してたら、もう骨を折るしかなかったね。骨を」
・・・・・・。ああ、そういうことですか。
・・・うん。巫女袴”が”じゃなくて、”みのりちゃんが着てるから”可愛いんだよね。そうだよね。うん。
つい上を見上げれば、五月晴れの夕暮れが広がっている。冷たい風が一回だけ吹いた。
・・・・・・骨、折れてなくて良かったナァ・・・。
春なのに、少しだけ辺りが涼しく感じていた。
・・・・・・・・・・・・・
こんな、毒にも薬にもならない話をし続けることで、貴重であるはずの休日は終わっていく。
客観的に見てしまえば、恐らく無駄にしているのだろうこの時間を、好ましく思っている自分がいた。
そして、みのりもそう思っていて欲しいと思っている、そんな自分がいる。
2.2
BG:神社
五月八日。日曜日。正午。
ぱりっ。
海苔の淡い風味が口の中に広がり、やがて、柔らかく握られた米の味わいが舌を躍らせる。
シーチキンの程よい酸味と塩気が、さらに米の旨みを引き出していく。
「ああ・・・この世にここまで旨いものがあろうか・・・」
「コンビニのおにぎりでしょ、それ・・・」
「お。みのり、今日は早いな」
「まさか、ここでお昼ご飯食べてる人がいるとは思わなかったよ・・・」
「社会人には独創性が必要なんだ」
「ただの変わり者って言うんだよ、こういうのは・・・。あーもう。社会人ってこんなに暇人ばっかりなの?」
「どんなヤツでも休日は暇なものさ。平日は馬車馬のように働いてるんだからいいんだよ」
「溝口さん、研修中のくせに・・・」
「ま、まぁ細かい事は置いといて、だ。 ・・・ほら。ちゃんとみのりの分も買っておいてやったぞ」
ビニール袋からシーチキンのおにぎりを取り出す。
「私、今さっきお昼ご飯食べてきたばかりなんだけど・・・。第一、シーチキンなんて邪道の食べ物は食べないよ」
「何!シーチキンを馬鹿にするのか!」
「な、何で溝口さんがそんなに熱くなるのかは知らないけど・・・。やっぱり、梅とか鰹ぶしとかだと思うよ。おにぎりって」
「分かってない。何も分かってないな、みのり・・・」
「・・・溝口さん・・・。良くわかんないけど、シーチキンに何か強い感情を込めすぎだと思う・・・」
「ああ、強いとも!もはや俺はシーチキンを嫁に貰ってもいいくらいだ!ラブツナー!」
「あー・・・。はいはい。そうすればいいんじゃない・・・」
「ちっ。みのりはシーチキン党には入ってくれないようだな・・・」
「そんな党が出来てたら日本が終わっちゃうよ・・・」
「仕方ない・・・。ならば、みのり。これならどうだ!」
今度取り出したのは鉄火巻。
「うっ・・・」
明らかに動揺するみのり。どうやら好物だったようだ。
「ほら、受け取ってくれ。これはこの神社に居座る場所代だ」
「・・・う・・・。じゃ、じゃあ、貰っちゃおうかな・・・」
冷静なふりを装っているが、明らかに目が輝いてるし、頬が緩んでいた。
「みのり、もしかして鉄火巻好きなのか?」
「わ、悪いー!?」
「いや、何も悪い部分はないと思うが・・・」
「だってマグロだよ!?漁師のオジサンが生活かけて釣り上げてるんだもん、美味しいに決まってるでしょ!?」
「いまいち後半部分の意味が分からん・・・」
「じゃあ溝口さん、お寿司屋行ったらマグロは絶対頼むでしょ? マグロは寿司業界での王様なんだよ?」
「いや、もう何でもいいから・・・。さっさと食べてくれ・・・」
「・・・分かってない。全然マグロの気持ちを分かってないよ溝口さん・・・」
すまない、みのり。魚類の気持ちはおそらく今後もずっと分からないと思う。
「さてっと、それじゃ早速・・・」
ビニールを剥がし、マグロの入った米を海苔で巻く。
ぱりっ、といった海苔のいい音が小さく響いた。
「・・・海苔の風味、そして、酢飯の酸味が口の中に広がっていく。柔らかな米の中に潜んだマグロの濃厚な味わいに、神明みのりは驚きを隠せないのであった・・・」
「・・・・・・・・・」
折角の実況ボケにもツッコミ無し。物事をよく分かってない巫女さんだ。
「はう・・・。こんなに美味しいものは世の中探しても他にないよ・・・」
「コンビニの巻き寿司だぞ、それ」
「うるさいなー!もー!!!美味しいものは美味しいのー!」
つい先程に同じようなやりとりをしたような気がするが、気のせいだと思うことにする。
しばらくの間、石段の上では小さなランチタイムが流れていた。
春の暖かい日差しが明るく差し込んで、五月晴れの空は今日も広く遠く青かった。
・・・・・・・・・・・・
ずずずずずずずず・・・・・・・・。
春の陽光差し込む神明神社に緑茶をすする音が汚く響く。
「溝口さん、品が悪いよ」
「・・・緑茶って、音を出すものじゃなかったか?」
「どこで習ったんだか、そんなバレバレな嘘・・・。しかも信じてるし・・・」
ずずずずずずず・・・・・・・。
「・・・叩くよ?」
「・・・・・・すいません」
明らかに上下関係が間違った方向に成り立ち始めているが、その点については深く考えないことにした。
今は素直に緑茶の味わいを楽しむことにしよう。 ・・・音を立てずに。
異様に年季の入った湯飲みの中身は、先程コンビニで買ってきたペットボトルの緑茶が入っている。風情があるのかないのか絶妙な所だった。
「・・・・・・・・。・・・・・・ふぅっ。やっぱり日本人は緑茶だね」
同じように古びた湯飲みで緑茶を飲むみのり。巫女袴のせいか、その姿は悔しいくらいに様になっている。
ばりばりばりばり。
そんな姿も、シュークリームの入ったポリエチレンの容器を開封する僅かな間だけしか持たなかった。
「やっぱりお茶にはシュークリームだよね」
巫女袴を着た、見た目和風の神明みのりは、茶道会に岩石を放り投げるような発言を軽々しく話した。
それに対し、左手に湯飲み、右手にチョコレート菓子を携えた俺は、
「それもありだな」
と、和の心を天高く投げ捨てるような同意をしている。
千利休が見れば失神するようなお茶会が、神社の石段の上で小さく開いていた。
BG:ブラック
突如、このようなお茶会が開かれることになったのは数十分前の事。
仕事を終えた(と言っても相変わらず数分だが)みのりが、俺のペットボトルのお茶を見て、拝殿から湯飲みを持ち出した所から始まる。
当初は湯飲みでお茶を飲むだけだったものの、
「今の私達には茶菓子が必要だと思うんだ」
この一言が原因で、近くのコンビニへ行くことになってしまった。
袴姿で平然とコンビニへ入っていくみのりに小さく驚きつつ、カゴの中に適当なお菓子を入れては、みのりに選定されて棚に戻される。
最終的にレジに持っていった時には、みのりの選んだ物しかカゴの中には入っていなかったという微笑ましいエピソードが待っていた。
しかも、支払いは俺。
「どんまい」
一言で済ますみのりに対し、軽めのチョップはお見舞いしておいたことは、言うまでもないことである。
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
ぼ~~~っと、二人して空を眺めている様は外から見ればさぞかし滑稽なのだろうと思う。
鳥の鳴く声が遠くから響き、暖かい陽光が差し込む、うららかな明るい昼下がり。
辺りにはカスタードクリームとチョコレートの甘い匂いが漂い、嗅覚だけは辺りの光景との違和感を伝えていた。
「巻層雲」
「・・・けんそーうん?」
「うん、巻層雲」
みのりは謎の言葉を繰り返し、空を指差した。
その先に広がる五月の青空には、筋状で薄いベールのような雲が広がっている。
「あの雲はね、10キロ上空にあるんだよ」
言われた所で想像出来るモノではなかったが、とりあえずは富士山3つ分程度だということで理解する。
手を伸ばしても、手が伸びに伸びない限り触ることは出来ない雲の広がる空を見上げた。
お互い、言葉を発する口が止まり、菓子やお茶へ伸びる手が少しの間だけ止まり、空を見上げることを優先する。
しばらく経った後。
「・・・・・・・・・今日も日本は平和だね」
「・・・・・・そうだな」
太陽は僅かながら霧のように薄い雲から脱し、どうしようもない会話をする二人を馬鹿にするように光量を上げた。
がさがさ。ばりばり。
買ってきた菓子の袋は、手を差し入れる度に辺りに騒音を撒き散らす。
やたらに甘いチョコレートが口の中で巧妙に歯にくっつくような形で溶けていく。
隣の巫女が緑茶を飲み、ふぅ、と小さく息を吐いた。
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
空を見上げたのは何千回もあったものの、こうして何もせず、ただ単に空を眺めるという体験は初めてだったのかもしれない。
「・・・あー・・・。今俺、すっごい時間を無駄に過ごしてるのかも・・・」
「大正解だよ、溝口さん」
みのりは素直に現実的な言葉を俺に投げつけつつ、湯飲みのお茶を飲み干した。
元々、500mlを二人で分けていたため、簡単にお茶は底を尽きてしまったようだ。
空のペットボトルが風に流れ、石段を転がって落ちていく。地面に当たるたびに間の抜けた鈍い音が響いた。
「っとと・・・」
みのりが立ち上がり、そのペットボトルを拾いに行く。
拾う際に腕を伸ばし、長い袖が地面にぺったりとついて、少し慌てながら空のペットボトルを拾い上げた。
空のペットボトルを右手に、みのりは満面の笑顔で、
「もう一本買いに行こうか?」
今さっき、時間の無駄だと言ったというのに頷く俺。陽光がやけに眩しかった。
立ち上がり、財布の中身を少しだけ確認し、「今度はみのりが払えよ」と言っては笑顔で誤魔化された。
BG:ブラック
風は涼しく、光は熱く。空は青くて、雲が少しだけ白くて、みのりはまたも支払いを俺に払わせた。
だから、この世界はどこまでも平和だった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
2.3
五月十三日、金曜日。午後9時半。
駅の中にある小さなチェーンの喫茶店には、名も知らぬジャズの曲と店員の張り上げた声、そして鈍く重い電車の音が響いていた。
未だに慣れないスーツにこぼさぬように、コーヒーカップに口をつける。酸味の強いコーヒーだなと、コーヒー通でもないのに批評を思う。
研修に疲れた頭が、コーヒーのカフェインで少しだけ明瞭になったような感覚を感じる。
「溝口。たぶん俺は、間違った選択をしたんだと思う」
向かい合わせに座った男は同年代の22歳で、同じような大学から入社し、席が隣だったからという理由だけで仲良くなった。
今日まで、同期”だった”、笑い声がやけに甲高いことが一番印象的だった、”元”同期。
そいつはカフェオレの入ったコーヒーカップを掴みつつ、一滴も飲まぬままに、その水面を見つめながら話した。
まるで、自らの罪に対する、独白のように。
何故か、その姿を直視することをためらった俺は暖色の蛍光灯をぼんやりと見上げていた。
薄く騒がしい喫茶店。そいつの声だけがやけにクリアに聞こえる。
「決して、会社が嫌いになったとか、同期に嫌なやつがいたとか、そういう理由じゃないんだ」
そいつの表情は前髪に隠れ、読み取ることは出来ない。そして俺も、読み取ろうともしていない。
「もっとこう・・・漠然とした感覚なんだよ。やってることは派手なのに、俺自身にはちっとも盛り上がりってモノはなかったんだ」
俺はただ、『うん』とか『ああ』とか、相槌を打つだけだった。
「何ていうか・・・、多分、怖くなったんだと思う。 これから40年間もこの会社へ通い続ける・・・っていう光景がさっぱり見えなかったんだ。
だからといって別に、『俺はやっぱりこれで生きていきたい』とか、そういう夢なんてのも無いんだよ、俺。
ただ、こう・・・。『もう少し真剣に選ぶべきだったんじゃないか』って、そんなことをどこかで思ってたんだ」
店に入って20分。初めてそいつがコーヒーカップに口をつけた。
「はっきり言って、もしも次の職場が見つかったからって、それがいい場所になるとは正直思ってないんだ。
多分、今の会社の方が絶対良かったはずなんだ。給料とか待遇とかじゃなくて、もっとこう、『人生にとって大事な何か』は今の会社にあったんだと思うんだ」
再びコーヒーカップに口をつけたそいつは、小さく『苦い』とつぶやき、入れ忘れていたコーヒーシュガーを入れた。
スプーンで混ぜている間だけ、お互いに沈黙が流れる。
「何度でも言うけど、溝口。俺は、絶対に間違った選択をしたんだ。
これから10年後経ったら、きっと俺と溝口の間にはくっきりとした差が出来ているんだろうさ。
恐らく俺は、これから今まで以上に、この選択で悩んで後悔し続けていくんだろうと思う」
隣に座った50代前後の背広のサラリーマンがタバコに火をつけた。独特の匂いが漂ってくる。
「結局俺は、ビビって逃げただけなんだ。今まで、高校3年、大学4年って、きっちりと終端が見えてたのに、いきなり見えなくなって、怖くなったんだ。
だから俺は、皆が走ろうとしているレールから、自ら飛び降りたんだ」
目の前に、そいつの名の記載された辞表が現れた。ただの紙のはずなのに、異常なほどの重量を携えてるように感じた。
「溝口」
そいつは顔を上げて、初めて俺の目を見て話した。
「お前は、俺のようにならないで欲しい」
それは酷く歪で湾曲して変形した、何かが漠然と間違っていると思える、心からの純粋な懇願だった。
その真剣なそいつに、俺は一つの疑問を投げかけて・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・
『3番ホーム、上り列車がまいります・・・』
同じスーツの人間がまばらにひしめくホームに、電車が滑り込むように入ってくる。
そいつは俺と逆方向の電車に乗り、小さく『じゃあな』と言って乗り込んだ。
手を振り、別れを惜しむそいつに向けて、俺は何も言えないまま、上手くない笑顔を頑張って作るだけだった。
もう二度と会うことの無い人間に対し、『さよなら』は冷たすぎて、『またね』はあまりに現実味が薄すぎた。
電車のドアは空気の抜けるような音を立てて閉まり、ホームから遠ざかっていく。
周囲からワンテンポ遅れた形で、電車が行った後のホームを歩き出す。
・・・・・・・・・・・・・・
「そこまで”間違った”と思うなら、何で会社を辞めたんだ?」
そいつは悩まずに、今まで悩んで導き出した答えを、俺の目を見て言った。
「今なら間に合うと思ったから」
・・・・・・・・・・・・・・
先程と逆側のホームに立ち、電車を待つ。
就職活動用に買い、そのまま使用し続けているカバンが、この日はやけに重く感じた。
夜でも明るいホームから見えるのは、街のネオンと人々の流れだけだった。
見上げても、五月の夜空には星のひとつも見えそうにない。
2.3b
五月十四日、土曜日。午後5時半。
「どうでもいいよ、そんなこと」
みのりの一言に、俺はビルを破壊する時の巨大鉄球を連想した。
容赦とか、そういうレベルを逸脱した攻撃力がそこにあった。
「・・・みのり、お前って何ていうか・・・すごいな」
「それ絶対・・・褒めてないよね?」
もはや何度目かも曖昧な、夕暮れ時の神明神社。
ピアノを聴いた後。昨日の出来事を経て、俺はみのりに少しだけ今の悩みを打ち明けた。
いわゆる、将来へ対する不安について。
・・・結果は先程の通りだった。見事すぎる一蹴である。
「普通なら、もう少し気の利いた言葉の一つや二つ出るもんだろ?」
「私、嘘を言うのは嫌いなんだよ」
みのりは大真面目な顔で、それなりに酷い言葉を俺に投げかけている。
思わず溜息が漏れ、その様を見たみのりは小さく『ドンマイ』と呟いた。
『本当にそう思っているのか』と聞いてみれば、みのりはやや苦笑い気味に再度『ドンマイ』と呟いた。
・・・・・・・・・・・・・
どうやら、昨日の同期の退職がトリガーとなったらしい。
漠然としていた五月病がやや形を帯び、具体的な不安感へと出来上がっていた。
新しい世界へと踏み出した際の沢山の違和感がこうして形になっているのだろう。
目の前に迫っているわけでもない事なのに強い不安を感じ、昨日今日と陰鬱な気分が続いていた。
六畳一間の部屋は、生活するにはそれなりに役に立っているが、不安を解消するような機能は無く。
朝食を適当に作り、掃除を終え、必要になった雑貨を買いに行った後。相変わらず、足が神社へと向いていた。
決して、みのりに会いに行くのではなく、神社という憩いの場所へ行くためなのだと、どこかで何度も自分に言い聞かせながら。
神社に行けばみのりがいることなどは分かっているだろうに、いないことを僅かに祈っていた。
そして。
神社に着き、みのりの姿を確認して、少しだけ喜んでいた自分に情けなさと敗北感を感じた。
・・・・・・・・・・・・・
「俺は別に、今の会社を辞めるつもりも、辞める度胸も無いんだ」
「じゃあ辞めなきゃいいじゃん」
「ただ、確かにこういう選択は”今しかない”と思うんだよな」
「じゃあ辞めちゃえばいいじゃん」
「別に俺は、明白な夢があるわけじゃないんだよ。辞めた所で、何をしようという方向性はないんだよな」
「じゃあ辞めなきゃいいじゃん」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「・・・みのり。この俺の悩みと、俺の今日の夕飯の献立。どっちが重要だと思う?」
「夕御飯」
竹を割ったような、見事なくらいの一刀両断っぷりだった。
思わず、遠い空へ視線が泳いでしまう。拝殿を抜けた風が気の抜けた音を立てた。
「みのり。お前、友達の悩みを聞いたときもこんな感じなのか?」
「いや、ちゃんと『大変だよね~』とか、『分かる分かる~』とか言うよ」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
カラスが遠くで鳴いた。神社の脇を自動車が走り抜けていった。夕日が一瞬反射して目に差し込む。少しだけ泣きそうだ。
そして、一呼吸。
「・・・みのり。実はお前、俺が嫌いで嫌いで仕方が無いのか?」
「そういうわけじゃないよ」
相変わらず、みのりは刀の一閃のように真っ直ぐな言葉を話している。確かに、嘘を言っている雰囲気は一切感じられなかった。
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・ふぁ・・・」
夕焼けを感傷的に見上げる俺の横で、『どうでもいいですそんなこと』感全開のみのりは小さく欠伸を漏らした。
その様に若干の悔しさを感じた俺は、みのりの方へと視線を向け、
むにっ。
人差し指で、眠そうにしているみのりの頬を突いた。
「・・・・・・むぅ」
みのりは不満げな顔をしながらも、俺の指を振り払おうとはしなかった。
この対応は考えていなかった俺。指を突きっぱなしという状態で沈黙が流れる。
そして、1秒もその沈黙に耐えられなかった俺は、リズミカルに頬を突く行動へ移った。
むにむにむにむにむに。
ずびしっ。
間もなくして、みのりからチョップが俺の脳天に振り下ろされた。結構痛い。
「・・・痛い」
「はぁ・・・。溝口さんって時々、変に子供っぽくなるよねー・・・」
やれやれ、といった感じで深い嘆息を漏らすみのり。
「心はいつまでも十代なんだ」
「はいはい。早く大人になろうね」
現役の十代に”大人になれ”と言われる様は、やっぱり馬鹿にされているとしか考えられないだろう。
一連の行動の後では、素敵なくらいに言い返せないのだが。
「はぁ・・・。知らなかったよ、みのりがこんなに冷血な巫女さんだったなんて」
「私、周りからは『優しくてしっかりしてて可愛い女の子』で通ってるよ?」
「・・・”可愛い”は嘘だろう」
ごっ。
いい裏拳だった。
「・・・・・・暴力的、という単語を付け加えておくべきだと思うんだが」
「溝口さんが失礼なこと言うからでしょー!?」
優しくてしっかりしてて可愛く暴力的で冷血な女の子は口を尖らせて文句をぶーぶー言う。
「はぁ~っ。まったくもー・・・。何?溝口さん、私に構って欲しいわけなの?」
「そうだと言ったら?」
「帰る」
素早く立ち上がるみのり。そんなみのりの腕のやたら長い袖をしっかりと掴む俺。
立ち上がる勢いで少しだけ着衣が乱れ、みのりは少しだけ慌ててそれを直した。
「まぁ待てみのり。今の2割方は嘘だ」
「・・・8割は本気なんだ」
「いや、残りその8割の中には、”いじめて楽しみたい”という部分が6割を」
素早く立ち上がるみのりの服を掴む。
「・・・冗談です」
「はぁ・・・。本当に時々、溝口さんが年下に見える時があるよ・・・」
みのりは深く深い嘆息をしながら、ゆっくりと座り直して、不満全開の口調で言う。
「はいどうぞ。さっさと悩みでも何でも言えばいいじゃない」
「物凄い投げやりっぷりだな・・・」
「だって面倒なんだもん」
「・・・みのり。将来の夢に『カウンセラー』って文字は書かないほうがいいと思う。 泣くぞ、相談相手が」
「いいんだよ。溝口さん専用の対応だし。 ・・・なる気ないけど」
覇気のないカウンセラーと、いまいち悩みの薄い俺。実に生ぬるい空気が流れていた。
「まぁ、そもそも、俺自身も別に悩み相談を思ってたわけじゃなかったんだが・・・」
確かに気持ちは沈んでいたが、みのりに相談しようとは思っていなかった。
十代の女の子に就職について相談した所で何が聞けるわけでもないわけで。
このことを話したのは、たまたま『最近会ったこと』を話したために出てきた・・・という程度のものだった。
「第一さ、何でそういう悩みを私に言うかなー? もしかして溝口さん、友達いないの?」
「い、いや、そういうわけじゃないんだが・・・」
地元にいる連中を除いて、友人と呼べるやつは昨日会社を辞めてしまっている。
「私、人の悩みについて相談されるっていうの苦手っていうか、面倒なんだよ」
「冷血巫女」
「もう、五月蝿いなぁ・・・。だってさ、結局はその人の問題でしょ? 私は関係ないし、その人がやればいいことだと思うし」
「カウンセリングの根底を覆す発言だ・・・」
「だからさ、その人が何を選ぼうと、それはその人の責任だし、その人の人生だし。好きに生きればいいんじゃないかな?」
「それじゃ、俺が会社を辞めようが辞めまいが構わない、と?」
「うん。溝口さんが辞めたいと思えば辞めればいいんじゃない?職を失って、路頭に迷うのもまた人生ってやつだと思うよ」
空気よりも軽く、俺の人生計画を投げ捨てる言葉を放つみのり。
「その際にはこの神社に住み着こうと思っているんで、どうぞ宜しく頼む」
「うわっ、そう来たか・・・。その時は思いっきり、グーで殴るからね。グーで」
満面の笑顔で握り拳を作る女の子を、俺は初めて見た気がする。
「うーん、そっか・・・。そう考えると溝口さんが会社辞めちゃうのはまずいか・・・。
・・・溝口さん、会社を辞めちゃ駄目だよ!そのうちきっといいことあるよ!」
「・・・素晴らしいくらい心が一切篭ってないな」
「未来の溝口さんをグーで殴る予定なんて、作っておきたくないしね」.
「要は、自分の為?」
「その通り~」
罪悪感ゼロの笑顔に、いつの間にやら俺自身の気力もゼロに近づいていた。
「あー・・・。何だかもう、どうでもよくなってきたなー・・・」
「そういうわけなんで、話したければ話せばいいんじゃない? 愚痴を聞いてあげるくらいのことならしてあげるよ」
「ついに俺の悩みは愚痴にランクダウンか・・・」
「ドンマイ。人生ってそんなものだよ。 まぁ、逆に私が愚痴を言いたくなった時は聞いてもらうからね」
「はいはい・・・」
夕暮れの境内に嘆息が深々と流れた。
いつの間にやら心にあった重い感情は若干軽くなっていることに気づいたが、根底の問題は一切何も解決してはいない。
俺はただ喋っただけで、みのりはただ聞いただけだった。
「あ、そうそう溝口さん。前に話した映画の話なんだけどさー」
みのりにとってはおそらく、俺の人生の決断よりも重要な話へと話題は移った。
五月の夕暮れ。神明神社の石段上。
『貴方の人生がどうなろうと構わない』と真顔で平然と言い切った女の子と、お互い笑顔で喋る。
周囲の人間にこのことを話せば、恐らく俺は頭の中を疑われるに違いない。それほどに異常なはずだった。
けれども、これが『溝口春樹と神明みのりの関係』であり、そして俺自身はこの関係を楽しいとさえ思っていたのだから、本当に異常なのかも知れない。
他人以上、友人未満。
お互いがお互いをそう思いながらも、心から楽しそうに話す。
異様なはずなのに、空は遠く、夕暮れは綺麗で、風は爽やかに、音は静かで、流れる空気はどこか優しかった。
五月が、続いていく。